会社設立のおおよそ一年前の話。
根源はAI領域の情報通になりたかったのか、
電子版新聞やウェブマガジンを貪るように読んでいた。
DeepLやLLMの翻訳のおかげで、海外記事を読むハードルも下がり、海外メディアの本国版で得られる情報やその鮮度に魅力を感じつつ、知識欲求を満たしていた。
至極自然な流れとして、得た情報をアウトプットしたくなる訳で、複数のAIの力を借りてライティングも始めてみることに。
新時代の執筆とはこういうものかと、そこには謎の充実感もあった。
また、フロンティアモデル重課金勢の自分としては、
AIオーケストレーションの走りと本気で思っていた。
完成した文章は「非常に洗練された、読み応えのあるもの」
それぞれのAIからもそう評された。
一年経って、AIモデルの進化は引き続きすさまじい。
会社登記も終えて、新たなHPも走り出せるくらいになった。
いかせるものはいかしたい根性から、
当時の文章を財産として新たなHPに移管することに。
それらを最新AIに見せてみると、
「これは典型的なAIスロップです」と軒並み連呼。
文章そのものは、一文字も変わっていないのに、
一年後にくる手のひら返し。
使った時間と課金額からすると、なかなか刺激的な反応に結構くらった。
妄信的であったものの、当時の自分としては、
AIとの共創成果物だと思っていた訳で、
それは結果として、最高級スロップ生成という場で踊っていたことに。
とはいえ、この妄信から得た気付きはかなり大きい。
それでは、生成物(今回で言うと文章)の価値は、いったい誰が、どう決めるのか。